大阪 北新地 すなくら 勇花

【大川功 人間の魅力】
六月四日に京都の深草に行ってみたくなり出かけた。京阪淀屋橋の本屋に立ち寄った。
おっ!「大川功 人間の魅力」オッサンが満面の笑みで「わし、ここにおるでぇ」言うてはるようでした。

大川功「人間の魅力」
秋頃の出版とお聞きしていましたので、ぎょっ!びっくりしました。
「第六章 飛龍」の写真ええ顔や!その前のページの日本舞踊の写真、オッサンの踊りは素直で品が良い。時々、オッサンの可愛さが出ます、そこが魅力的なのです。ホンマでっせ。日本舞踊してたら孫みたいな芸妓ちゃんとも楽しく話が出来ると書いていましたが、オッサンはTypical Japanese Cultureを体の芯から大事に考えていらっしゃったのではないかと私は思います。よって芸者衆を大事になさったのだと思います。
そうそう、社葬の時、品の良い紳士がいてはりました。片岡仁左衛門さんご夫妻でした。

「第十章 昇龍」ビル・ゲイツと大川功の写真、これまたええ(良い)顔してはる。
オッサンは「ええとこの子」やったから、七年も患ってもペニシリンが買えて、家族の愛を受けて命が助かった。古希の祝宴を大和屋大広間(能舞台もある)でなさいました時、大川功さんのお姉さまと色々話をさせて貰いました。上品なお方でした。晴れやかな、やんちゃな弟(大川功)をまぶしそうに身を小さくなさって見ていらっしゃいました御様子を思い出します。
30数年前頃、大和屋に「メンバーズ バーラントまと」と云う長がーいカウンターが主のちょっとした食事も出来る格好良いバーが有りました。大川さんはよくお越しになっていました。もう深夜ですのに「次、行くでぇ」宮野隆さんは帰れません。「宮野さん、奥さんに離縁されずに良かったですねぇ」

六月十六日の月命日(2001年3月16日3時46分没)
「大川功 人間の魅力」をリュックに入れ、土佐堀川沿い住友生命淀屋橋ビル辺りを走って宗恵院に向かいました。どなたかにあえるかなぁと思いましたが、誰にも会えませんでした。そこで、気が付きました。一日早い十五日でした。
あわてんぼうで、すかたんです。

宗恵院前のブロンプトン

墓前にて
2001年CSKの手帳が出て来ました。(この手帳の年の3月16日にお亡くなりになっている)

CSK手帳(2001年)
私(勇花)は自分の褌で勝負する人が好きです。汚れててもボロでも、自分の褌で勝負する人が立派!
大川さんは「くちゃくちゃ、しょうもないことしてんと、志あるものはチェンジや!チャレンジや!」「暗黙知を引き出し、具体化せぇ!」(P.245を読んで下さい)と言うてはるのと違いますやろか?
大川語録に 人生を感動の歴史でつづれ。経営とはトップのビジョンに全社員が共鳴し全社員の努力を通じてその夢を実現すること。 そしてそれを実行するのは血を吐く思いせんと、実現は難しいのですよねぇ。
皆が慕う「大川功 人間の魅力」皆さんも買って読んで下さい。
【大川功さんを偲ぶ】

3月16日に大川さんのかつての部下の皆さまが10周忌のお墓参りの後に、当店に集られました。大川さんの懐かしいお声をCDで聞きながらで盛り上がりました。お約束して居たご本の発売が遅れましたが必ず秋には発刊するとの事です。本当はご命日に間に合わせたかったそうです。

「予兆」大川功著


宗恵院(谷町九丁目)


”どやっ!”


”ごぞんじ いさお”です


大川の弟子宮野です

大川の弟子たち
大川功さんは大真面目に「遊び」をなさった、と云うイメージが私にはあります。大和屋の能舞台にて袴形(はかまなり)で「松の緑」を舞われ、「千年の古都」を祇園の芸妓さん二人を脇に連れ舞いなさったお姿を思い出します。お上手でした!もう十年も経つのですね。東京まで、大和屋の女将さんについて告別式に参列させて貰いました。野村證券の大田淵様、ソニーの出井様のお背中も・・・大勢の方が大川の「オッサン」のことを愛していらっしゃると思います。愛らしくもあったお方です。