大阪 北新地 すなくら 勇花

【武智鉄二に興味津々T】

ゴールデンウィークに入った4月30日の朝NHKテレビ週刊ブックレビューを見た。船曳建夫さんが武智鉄二の本をほんのちょっと紹介していた。私は以前から武智鉄二の名は知っていたが、この最近この人のことをもっと知りたいと強く思っていた矢先だった。まず船曳建夫さんのことをインターネットで見てみたら、河東節十寸見会(かとうぶしますみかい)に参加されて居る写真が目に入った。
右に銀座大野屋さんが写っていらっしゃる。あら、おなつかしや。
東大大学院教授の船曳建夫さんが、歌舞伎「助六」の舞台を支える側にいらっしゃる事、秋元康ナビゲート夢中力を見て知った。嬉しくなりました。

1985年に十二代目市川團十郎襲名披露興行で大阪の今は無き難波の新歌舞伎座で助六を見た時、ご贔屓筋(素人)が下座をつとめるという事を知りました。
この時は高島屋の東西名匠展の呉服の名店の旦那さん方(銀座の)がつとめていらっしゃいました。晴れやかで楽しそうでした。さて、実は武智鉄二のことは「白日夢」「華魁」の二作で知ったのでした。 私の好きな役者さん、能・狂言・歌舞伎と幅広く深い関わりがあったことを知るにつけ、武智鉄二とはどのような人であったのか、とじわじわと知りたくなっていました。 私は最近NHK大河ドラマを見なくなった。我慢の限界を越えて来たのです。以前はこうではないであろうとか、こうであるのかなぁ、どこまで変なんだろうと思いながら見ていました。あらゆる分野で、日本の中味がうすっぺらになっているように感じるのは、私だけではないのでしょう。何時の新聞だったか平成22年だったか?都倉俊一さんが「人間発見D」で「今、切実に感じるのは真剣に演劇の勉強をしている日本の若者たちが成果を発揮出来る場所があまりに少ないこと。まともに基礎的な訓練が出来ていない芸能人が活躍しているのを見ると情けなくなってくる。日本の文化レベルを底上げするためにも演技力があり、言葉に説得力がある才能をもっと育てたい。そんな環境づくりに一役買いたいと考えています」とありました。私は真にそうだ!と思いました。

一役とおっしゃらず、何役もお願いします。
【武智鉄二に興味津々 U】

ピンポーンと玄関に人が・・・インターネットで注文した「武智鉄二という藝術〔あまりにコンテンポラリーな〕」(著者 森影英)が届きました。 翌日にも武智鉄二著「日本やくざ伝、無頼の歌」が届いた。あちらも、こちらも、はやく読みたい。あちら読み、こちら読みしていたら似た所があって、 私の頭はややこしくなりました。どちらの本も買って良かった!松井今朝子さんの事も、以前に増して興味津々。

『武智鉄二という藝術〔あまりにもコンテンポラリーな〕』の最終章の後半にやっと無知な私にとってはびっくり箱から飛び出すように登場!著者森彰英さんも武智鉄二を終らせない、今後に継げるキー・ウーマンを終わりに紹介されたのでしょうね。

それほど、松井今朝子さんはとっておきの人!表現する批評する事は良い意味での「無頼」でなくては真の事は書けません、世間に阿(おもね)るようでは何も書かぬ方が良い。これまた、Noblesse Obligeですね。森さん!松井さん!

祇園の京料理「川上」さんも何度か行かせてもらっていますが、お父さんお母さんの佇まいが大好きなのです。

尊い日本人の姿を見るようで、自分を慎まねばと思わせられる「力」を感じるのです。お父さんの頭髪・襟足・耳の後ろの潔い理髪が、松下幸之助さんと同じ美しさを感じました。
南座で歌舞伎を見た帰りに(何を見た後だったのか残念ながら思い出せません)お伺い出来たのが最後で、私は35年ほど着古したみすぼらしいコートを着ていましたが、パンフレットを持って居るのを見て「行って来はりましたんか?」と話かけて下さいました。
直木賞作家の松井今朝子さんのお父上とは存じて居りましたし、もっとお話したかったのに・・・そんな思いを包み隠しておとなしくカウンターで美味しくお料理をいただいておりました。
2009年8月一杯で引退なさっていたのですかぁ・・・あぁなんとも寂しいです。二階から和服に潔い白い割烹着姿のお母様が降りて来はりました。
そのお姿とお父様の格好良い姿が名画のひとこまを見るように、脳裏にやきついています。父親知らずの私にはうらやましい限りです。結構、結構知らずな松井今朝子さんでありませんように。

古地図を歩く会(7月24日)でJR福島から蜆川ー北新地ー西天満−八軒家浜まで歩いた途中、桜橋の本屋でまた松井さんの「奴の小万と呼ばれた女」を買い読み掛けています。これまた、畳屋町三津寺、下大和橋、住友銅吹所近くの島之内、西天満、中之島に暮した私にとって、面白い面白いです。大阪の人、読んで下さい。

『奴の小万と呼ばれた女』のお岩とお亀の主人お雪に対する言葉使いが気になりましたが、あれよあれよと二百年程昔に引き込まれ現代の大阪梅田の古書店に引き戻された時、夢から覚まされた感じでした。 木村兼葭堂(けんかどう)邸跡も、藤原家隆塚にも行って来なくては!色々と興味はつきません。―――あぁ武智鉄二さんのことに戻らなくては・・・
【武智鉄二に興味津々V】

8月20日、BSプレミアム「人間の条件 第6部」を見た。これはちゃんと見なくてはと構えて見た。出演している俳優も皆優れている。
太平洋戦争の戦前・戦中・戦後を知っている大変な時代を経験している事も身体の構え、面構えに、精神性が深みを増しているのでしょう、良かった。65歳以下の日本人は皆この映画を見なくていけないと思いました。

続いてJスポーツで南ア・スプリングボクスとNZ・オールブラックスのラグビーを見た。今回はNZのリッチー・マコウ、ダン・カーターが出ていない。
ちょっと残念だが、9月9日から始まるワールドカップに向けて体調を整えておいて貰いたい。南アはV.マットフィールド、J.スミットがまだ頑張っている。M.ステインも魅力的な選手だ。B.ハバナは超俊足である。JP.ピーターセンも。
ワールドカップが始まるので、10日ほど前日立のプラズマWOOが10年程でしっかりダメになったので買い換えた。シャープのアクオス42インチ。ベイコムに出張費を払いバージョンアップのチューナに交換してもらい、月々Hiビジョンの代金を支払う事にした。
画像が良くなっているが、今日のオールブラックスは5対18で負けだ。ゴールライン近くでハバナの足が活躍していた。私はオールブラックスのファンだ。いやラグビーファンなのだ。
TVも見ないといけないし、日常の生活の雑用もしながら、インターネットで松井今朝子さんの事、お父さん松井新七さんの事も見たり『武智鉄二と云う藝術〔あまりにもコンテンポラリーな〕』も読み返したり、でぇ、さて、何故もっと早く武智鉄二に興味を持ち知る努力をしなかったのかと後悔している。昨年末お亡くなりになっている茂山千之丞さん(2010年12月4日没)にも、観世栄夫さん(2007年6月8日没)にもお目にかかれた機会がありましたのに・・・でも武智鉄二さんの事をお尋ねしたかった。インターネットで武智鉄二名言録〜日本の伝統芸術「断絃」などを見ますと、私が日頃もやもやとしている事を、真にそうだ!と表現して下さっている。
しかし、全体が解らなかった。大阪の出身、京大出、お父さんが建築技師で「武智式基礎工事法」の特許を持った人で、最初の結婚が稲畑財閥の令嬢との間に男3人、女2人の子を成した。という事も嬉しい話で、この不思議な武智鉄二さんの血を受け継いだ人がどこかにいらっしゃるのだ。

安宅産業の安宅英一とその弟重雄と・・・等々。この一冊で盛沢山に知る事が出来て良かった。色々書きたいのですが・・・72年振りに(2011年8月8日)米先物取引再開ですって!?
ちょうど、『日本やくざ列伝 無頼の歌』(武智鉄二)を読んでいて、やくざ道の反面教師、水熊組の大親分川口熊次郎は米騒動(大正七年)のとき、大阪府警察部長と手を握って、一揆を鎮圧した。同じとき、山口組初代春吉は暴徒の一員として、焼き討ちに参加していた。
今日、水熊組が壊滅し山口組が栄えているのも、この始祖の生き様の違いによる。(1976年1月10日初刷)と書き出しを読んでたもので、無知な私は米価が高くなって、私もわらむしろをかかげてデモに参加してシュプレヒコールする自分の姿を想像した。安全・美味・公正価格が保たれますようにと願うのでした。
この書き出しでは武智さんはすっかり川口家の人になった気分でいらっしゃるようで、本気で水熊組を再興したくもあったようで面白いです。

華OIRAN魁揚羽太夫役の川口小枝
水熊組の大親分川口熊次郎と武智鉄二の関係を説明しておかねばなりませんでしたね。 武智鉄二さんは三度目の結婚で川口姓となられ、妻の川口秀子さん(舞踊家)の祖父にあたる人が水熊組の大親分で、武智さんにとって義理の祖父となる訳です。 大阪では昔、やくざなんてことばはあまり用いなかったらしく、自ら称して極道者(ごくどうもん)。 水熊組の親分は製材を表向きの正業とし、道頓堀五座のうち、角座・弁天座・朝日座の櫓をあずかっていたとのこと。 櫓をあずかるなどと言っても、ぴんと来ないかも知れない。何か興行関係のやくざ、いまの山口組(昭和五十年頃)みたいなものを連想されるかも知れないが、もうちょっと重みのある仕事だった。と武智さんは「無頼の歌」に書いておられます。

きゃあー!市川雷蔵さんとも!「ぼんち」と云う映画も良かった!今の映画は手間・時間・俳優の中身が足らんのでしょうかねぇ?!
【武智鉄二に興味津々W】

「無頼の歌と赤い長襦袢がはらり」
9月6日京阪電車で森小路の田中電工会長・田中睦様に武智鉄二のことをお聞きしたくお伺いして来ました。お若い頃、お芝居が好きでものを書くのがお好きでその方面へ進む思いがお有りだったそうですが、お父様の工場が火災にあい、それどころでは無くなりお父様のお仕事を継がれたそうです。絵に描いた様な真面目な方でした。「武智先生は私達の同人誌にまで、支援して下さって立派で穏やかなお方でした」「けど途中から、私らに解らん人にならはった・・・」と云うお話でした。その真面目な80才の方に持って行きました「華OIRAN魁」ハードコアの世界をお見せしました。目を丸くしてびっくりなさっていました。

「田中睦様とお父様の胸像」
私はこの「華OIRAN魁」が大好きで、ビデオ(モザイク入り)で何度も見て、お座敷でせりふも真似していました。

左から菖蒲太夫(親王塚貴子)お辰(桜むつ子)道具屋八兵衛(殿山泰司)
お辰 「太夫(たえ)はん、お疲れはん、あとひとりたい」
菖蒲 「どなたじゃえ」
お辰 「道具屋の八兵衛旦那たい」
菖蒲 「八っあんかえ。あのお客はもう床がひつこうて。宵から引けまで、九人じゃもの」
お辰 「紋日は仕方なかたい」。道中の装束から散り銭まで、百円はかかるもんね」
菖蒲 「誰ぞひとりで百円ぱぁっと出してくれるお客はないものかいなぁ」
お辰 「百円いうたら、借家の五軒も建つお金。誰がそんなお金出してくれるもんね・・・」

私一人芝居、本気半分・冗談半分ですぅ。ひとりでぱあっと出してくれるお客はないものかいなぁ・・・

昔「白日夢」はお客様お二人と大和屋のこいさんお二人とお姐さん芸者お二人で見に行きました。愛染恭子はんのおいど(尻)が私は嫌いだった。あのおいどは淫靡だ、そのエロさが男はんには良ろしいのやろか? いやらしいピチャピチャ、クチュクチュと云う音が長く続くのも7人で見ているのもかなん(つらい)かったです。

「華OIRAN魁」は座敷が無く早く帰れて道頓堀に寄り道してふらっと映画館に入ったのだった雨の夜でした。ちょっと、いやらしい映画は一人で見てたら、いやらしいそうな男はんが隣に座りはった。かなんさかい、アベックの隣の席に移りました。アベックの言葉も古いなぁ、今はカップルといった方が通じますねぇ。

親王塚貴子はんの体は美しい。ややなで肩、足首も日本的でおっとりした感じが好い。今もてはやされる体には色気を感じない。好みは色々ですけど・・・。

9月11日、真鍋奈央ちゃんが我が家に遊びに来てくれた。2011年ラグビーワールドカップTV観戦一緒にした。奈央ちゃんに「華OIRAN魁」の本を見せながら夕食を共にした。

大皿料理と親王塚貴子の顔に奈央ちゃんが呉れたピンクの箸枕
【武智鉄二に興味津々X】
もうそろそろ武智鉄二さんの事はひとまずと思っておりましたが、2011年10月13日の日経新聞夕刊「こころの玉手箱」に狂言師野村万作さんが「“夕鶴”で履いた鹿革の足袋」1954年木下順二作「夕鶴」制作・演出が武智鉄二、この時出演者全員に 武智は鹿革の足袋を作ってくれたとの事。狂言の足袋を昔は鹿革で作っていたとの事。狂言師が女優と共演するなど能楽界の慣習を破ったこの公演は大問題になり、演者によっては破門を覚悟した程だったとの事。翌年の1955年武智鉄二制作・演出の実験劇 「月に憑かれたピエロ」にも出演なさった野村万作さんは、この斬新な舞台も話題になり、多くの人に狂言への話題となったとの事。私(勇花)は桂米朝さんの「地獄八景亡者戯」を聞いた事があります。 この落語の様に観世寿夫さん・観世栄夫さん・茂山千之丞さんに、あの世からご登場いただいて武智さんの事から作品をあゝだ、こうだと、何も知らぬ我々に教えて頂けぬものかと願うのです。 落語では可能ですが、野村万作さんのように武智さんと御縁のあった生存者さんにお集まりいただいてあゝだった、こうだったと再実験劇を見せて貰いたいと願います。
「♪お年寄(チリツン)遊ばんせ(チリツン)♪ 早く遊ばにゃ先が無い ささ早くしないと・・・♪」

11月27日、大阪市長選挙・府知事選挙、橋下徹さんの事で喧しいです。政治にうとい私でもどうなるのやろとドキドキします。橋下市長になったら、ガラガッチャンとどないなるのでっしゃろ??? 武智鉄二の「無頼の歌」P.42に、とにかく昔も今も悪い奴はやくざよりも体制内に多いというのが、どうやら動かぬ真実のようである。と仰っている・・・・興味深い言葉です。

あゝそうそうP.28も面白い、武智さんはやくざは心象のなかでのあこがれの職業と仰り、由緒ある水熊組跡目の再興を・・・と水熊組親分の三代目の血を引いている妻(川口秀子さん)に相談なさったら 「やめなさい、ばかばかしい」妻は一言のもとに、私(武智さん)の話を跳ね飛ばした。「どうして?」とまだ未練たっぷりに問い返した。「あなたには、お金がありません。金のない者に人の世話ができますか」 それはそうだ。しかし、金は全国の同業者から、祝い金が集ってくる筈だし、鉄火場を開いて大もうけできるかも知れない。しかし、妻はロマンの無い極めて理知的な物の考え方の女だ、私(武智)はあたら花の職業に つくチャンスを無残にも逸してしまったのであった。まっ、武智さんの仰る「やくざ」とは、体制側にはつかず民衆側にあるべき歴史的運命を担っているはず?!
【武智鉄二に興味津々Y】
日経新聞夕刊「こころの玉手箱」に狂言師野村万作さんが書いていらっしゃった事がらから「子午線の祀り」の舞台第四次公演1990年3月〜4月山本安英の会を見たことを思い出し、プログラムを引っ張り出し見ていて、観世栄夫さん嵐圭史さんとのエピソードをお話したいですが、次回に致します。

そして何故かふと、武智鉄二大正元年(1912年)12月10日生れが気にかかり気付いたのです。
もうすぐ12月10日生誕99年、来年2012年「生誕百年!!」ではありませんか!
武智鉄二を知る人々よ、素晴らしい「武智鉄二 生誕百年」を企画して下さい!松井今朝子さん、ひとつ良い企画をお願いしますよ!