家紋・三階菱

照浪庵 小笠原流 煎茶

★ 3月の一口メモ  「煎茶の歴史」

では いよいよ煎茶の歴史につきまして
あまりお馴染みでない名前もでてくるかと思います

“茶”という言葉

  • 『公事根源』 一条兼良
    文献に見られる最初の茶は
    729年に聖武天皇が百人の僧に茶を賜うしきたりの最初があったという記述
  • 『日本後記』
    815年 嵯峨天皇が近江唐崎に行幸の際 崇幅寺に立ち寄られた記録の中に 大僧都永忠が茶を煎じて奉ったといいます (団茶であったと思われます)
    cf 永忠は宋に30年留学し 最澄と共に帰朝した僧
    嵯峨天皇は大いに茶が気に入られたようですが その後の遣唐使の廃止(894)により茶もそのまま忘れられました

最古の茶園

805年唐から帰朝した最澄が茶の種を持ち帰り 近江の坂本に植えたという話が残っています

空海も

806年 同じく茶の種と 茶を搗く石臼を持ち帰ったとも伝わっています

庶民の茶

平安時代に上流階級に広まりかけた茶は 遣唐使の廃止により忘れられてしまいます
鎌倉時代になり 栄西が禅風の喫茶の法を持ち帰り 薬として用いられるようになりますが まだまだ庶民には縁の遠いものでした
その後は宇治の生産業者たちの努力により覆下栽培など製法はどんどん進化していきますが 民衆の茶は日干し茶など昔のままの製法がほとんどのようです

隠元隆g(1592〜1672)

インゲン豆の名でおなじみの隠元禅師です
中国は明代末期で清の侵入が激しくなり混乱の時代でした
日本からの熱い招きに応じて 1654年に福建省黄檗山万福寺の僧隠元(63歳)が弟子20名余りを引き連れて来日しました
1658年 江戸で家綱に拝謁後 宇治の万福寺の開山となります
今でも大きなお寺ですが当時はもっと広い敷地を与えられました
cf 万福寺は名前も中国と同じですが 色々と中華風で面白い所です
お経も中国読みだとか

煎茶を飲んでいた最初の人

隠元は後に黄檗宗の開山となり 色々と影響を与えた方ですが 今回はお茶の関係だけに限って続けます
お茶を飲んだのはもちろん隠元が始めてではありませんが“証拠”がある最初の人ということです つまり隠元が使っていた茶入れに茶葉が残っていました
(釜炒り茶らしいです)
このことから隠元を煎茶道の始祖とする流派もあり また万福寺が煎茶道のメッカのように言われます
但し 九州地方ではもっと古くから釜炒り法が伝えられていたといわれます
おそらく加藤清正が朝鮮半島から連れ帰った人たちによって伝わったのでしょう

インゲン豆の日

4月3日は隠元の命日だそうですが その日が「インゲン豆」の日なんだそうです
ただこれも隠元が持ってきたのは本当はフジ豆だったという節もありますが
やっと本流に乗ってきました
来月は煎茶人と呼ばれる人々を調べてみます

来月の一口メモは「煎茶人」の予定です

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