大阪 北新地 すなくら 勇花
【地唄舞山村流「きぎす」(雉子)】
全国芸能文化財連盟主催第七回「紅緑會」公演に、東京国立劇場にて「ぎぎす(雉子)」を当代の山村若さんの先々代のお家元様と山村久子師匠に御指導して頂きまして、舞わせて頂きました。
「きぎす」(雉子) 「きぎす」は鳥の雉子のことです。 よく「焼野のきぎす夜の鶴」といわれますが、これは雉子は我が子のためには自分の命もかけるという親の愛情の深さがたとえられたもので、それほど雉子は子を守ることに懸命な鳥と言われています。 この地唄「きぎす」はそうした雉子が子供に寄せる愛情を描いたものでなく、男と女の切ない愛情が歌われているところに意外なおもしろさも感じられます。 吾妻と与五郎の恋を描いた舞として見るとき「焦れ焦がるゝ苦界の舟の寄るべ定めぬ身は陽炎・・・」遊女吾妻のはかない身の上がかたられていると思いますし、 「菜種の蝶は花知らず、蝶は菜種の味知らず」などでは、恋のテクニックがおもしろく歌われて、舞の技巧にも甘美な男女の世界やその情緒が古風ながら派手な手を加えて、ふくよかに表現されています。 以上の説明では何のこっちゃ解りませんねぇ、もう少し書物による解説を付け加えさせて頂きます。 人形浄瑠璃・歌舞伎と「山崎与次兵衛」をめぐる幾多の書替狂言より享保三年(1718)近松門左衛門が作った「寿(ねびき)の門松」 の下の巻、「吾妻・与次兵衛道行」を作詞(加茂川のしほ)作曲(島野勘七・若村藤四郎)、振付は初世山村友五郎がした、古曲地唄舞である。 すじは義理で人殺しの罪を一身に引受け、囚われの身となり気がふれてしまい、落ちてゆく与五郎(山村流では)と大阪新町の藤屋の全盛 の遊女吾妻との浪花の恋の道行を描いた舞で、狂気になった与五郎が吾妻のはかない身の上を偲び三味線を吾妻に見立てて舞う、吾妻は 与五郎の心情をいたわり、二枚扇が交錯して切ない甘美な男女の情を表現しつくす。 ![]() きぎす1 緞帳が上がりました。 ♪雉子鳴く野辺の若草摘み捨てられて、餘所の嫁菜といつかさて♪ ![]() きぎす2 ♪焦れ焦がるゝ♪苦界のふねよ、寄るべ定めぬ身はかげらふの♪ ![]() きぎす3 ♪吾妻が顔も見忘れて現(うつつ)ないぞや、これなう男、あれ虫さへも、番(つが)ひ放れぬ揚羽の蝶♪ あ(わ)れ、あれとても二人づれ、好いた同士のなかなかに♪ ![]() きぎす4 ♪春にも育つ花さそふ、菜種の蝶は花知らず、蝶は菜種の味知らず♪ ![]() きぎす5 ♪知らず知られぬ中なれば、浮かれまいものさりとては♪そなたの(が)世話になりふりも♪ ![]() きぎす6 ♪我身の末の放れ駒、ながき夜すがら引しめて♪昔語りの飛鳥川♪ ![]() 大阪花街連盟
先々代の山村流お家元、上方舞四世宗家若さん、その妹さんの山村久子師匠、その夫山村若禄次師匠、大変お世話になりました。
おつきあい下さいました姐さん方にも有り難き事と深く深く感謝致して居ります。そして、嬉しいことに武原はんさん、はな子女将さんもお越し下さいました。忘れ難い思い出です。
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